北辰斜にさされたところ

さて、昨日はコーヒーの阪本さんたちが出演してた映画「北辰斜にさすところ」を観てきました。ギリギリ最終日の最終回に間に合ったよ。阪本さんたちはホントいい芝居してたなぁ。映画も好きだった。

主演の三國さんは、白黒映画の何かで女を手篭めにしたり、伊丹映画でマルサに踏み込まれて、食べかけの目玉焼きを黄身だけススって逃げたりと、前からなんだか業突張りな役柄が印象深くて、釣りバカ社長の品のある感じがどうもなじめなかった。んだけど、やっぱり凄い人だった。凄すぎた。まとってる空気と醸し出す関係性。枯れた体の内側から滲み出す感情。そして最後に残る品のよさ。業突張ってたからこそ枯れてなお、香りが残るんだなぁ。真ん中にいる人のエネルギーをまざまざと見せ付けられた。恐れ入りました。俺ももっと業突張ろう。

映画自体は、戦争をライトに振り返る。戦後これだけ時間が経つとこんな映画ができるんだな。印象深かったのはやはり老人たちである。歩けてない、喋れてない爺さんたちの演技がたまらない。味があるとかじゃなくて、熱い。舞台みたいに熱い。家族からさりげに冷遇されたりほっておかれたりする彼らの中にこんなにも熱いものが流れているんだなという映画の作りだった。途中よう分からん演出があったりするけど、俺からしたらこれが「老い」なんだと思った。それがすっと心に入ってきた。監督も確かもうすぐ70くらいの人。反戦映画を撮り続けているそうな。脈々と続く命のリレーの中で、老いぼれにも若造にもある魂の輝きを俺みたいなやつらに渡したいんだと感じた。そのバトン、俺も受け取りましたよ。いつか何かを書きますね。あるいは、演りますね。

あー久々に熱い日記になったな。きっと目覚めたら恥ずかしくなってるんだろう。夜中に作ったメールみたいに。